第三章 蓋の穴

雨川は竹本刑事の許可を得て、改めて部屋の中を調べてみることにした。
この部屋は、他の部屋とほぼ同じつくりである。窓が一つだけあるが、鉄格子ががっちりとはまっている。フローリングの床はきれいに掃き清められており、つやつやと光沢を放っている。
部屋にはベッドとテーブルと昔懐かしいレコードプレーヤー、それから先ほどまで達郎が座っていた一人用のソファだけが置かれていて、その他には何もない。
彼は一通りそういう部屋の中を眺めてから、テーブルの上に載っている、例の小さな瓶に注意を移した。
それはジャムを入れるガラス製の小瓶で、蓋はしっかり閉まっていた。そして中には、この部屋の鍵が入っている。
「妙な瓶ですねえ、蓋に大きめの孔が開いていますよ」
竹本刑事が近づいてきて言った。この孔のことは雨川も不思議だと思っていた。ここから鍵を入れたのなら別に不思議でも何でもないのだが、この孔は鍵を入れるのには少し小さい。
雨川はしばらく黙り込んでこの小瓶を眺めていたが、何を思ったのか彼は部屋を出て行き、入り口の上部にある通気窓を調べている。書き忘れていたが、二階の部屋にはそれぞれ、ドアの上に通気窓が付いているのである。
そしてそれが終わると彼は、ちょっと出かけるからと梶井に告げ、そのまま玄関から出て行った。
竹本刑事は苦りきった顔をして梶井に尋ねた。
「あの雨川っていう探偵はどこへ出かけたんだい」
「私にもよく分かりません。何しろ彼には、ちょっと出かけてくるとしか言われてませんから。でも彼に何か考えがあることは確かでしょうね」
「まさか逃げたのじゃあるまいね」
「それはないでしょう。彼は一度も依頼を途中で放棄したことはないそうですから」
竹本刑事は渋い顔をして、窓の外に見える田圃を眺めている。

雨川が帰ってきたのは、翌日の昼頃であった。
居間へ入ってくると、
「雨川さん、あんた、今までどこへ行っていたんです?ここの一家が、随分心配していましたよ。」
竹本刑事は、雨川の姿を見るなりそう言った。
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。実は色々と調べることがあって、昨日から出ていたのですよ。ところで、そちらの方々は?」
雨川は色々な本や資料を小脇に抱えてにこにこしながら竹本刑事に尋ねた。
「こちらは昨日出かけていていらっしゃらなかった、竜一さんと悠子さんですよ。今日の一時ごろに帰ってこられたんです。」
「そうでしたか。ちょうどお二人にもお聞きしたいことがありましてね。昨日は何をされていらっしゃったのですか?」
「私たちはある大学の非常勤講師として働いているのですが、昨日は仲のいい友人たちと飲んでいました。それで昨日は帰るのが遅くなったんです。」
「なるほど。悠子さんもそのとき一緒だったんですね?」
「はい」
「ということはお二人にはアリバイがあるわけですね。そのことについては、その友人に尋ねてみれば分かるでしょう。ところで、図書館で面白い本を見つけて借りてきました。この町の民間伝承についての文献ですがね。」
「雨川さん、あんた、こんなときに図書館なんかへ行ってたんですか。もう少し真面目にやってもらわないと」
竹本刑事は、鬼のような形相で雨川を睨みつけた。
「まあまあ、竹本刑事、そんなに怒らず、僕の話を聞いてください。実はね、どうやらこの事件はこの町の民間伝承をヒントにして計画されたものらしいのですよ。」
「なに?民間伝承をヒントに?」
竹本刑事は目を丸くした。
「ええ、その民間伝承というのは、文献によるとこういうことなんです。」

昔、N村(現在のS県N市)の北の蒼梅山(あおうめざん)に、一匹の大蛇が住んでいた。村の人々は大蛇の祟りを恐れ、半年に一度、蒼梅山にお供え物を持っていった。
ところが、あるときそれを怠った者があった。すると、その人はどこからともなく飛んできた、白い矢羽のついた矢に当たって死んでしまった。

「つまり今回の事件は、今の話に基づいて計画された事件だと言うんですか」
竹本刑事は疑わしげな目つきで雨川を見ている。
「今度の事件ばかりではありません。十年前も、やはり同じ計画が実行されたんです。」
「そういえばあなた方は、昨日から十年前、十年前と言っていますが、十年前に何かあったのですか。」
「ああ、そういえば刑事さんには、まだそのことをお話していませんでしたね。」
そう言って、雨川は竹本刑事に十年前の事件について語って聞かせると、
「ああ、そういえばそんなことがありましたね。当時はまだ若かったもので、すっかり忘れていました。」
「しかし雨川さん、もし民間伝承に基づいているなら、父や謙三叔父さんは何かやましいことがあって殺されたというのですか。」
そうなのだ。もし伝承を基にしてこのような殺人が行われたのなら、達郎や謙三には何か問題があったはずである。
「今のところは何とも言えませんが、白羽の矢についてはこれ以外説明の付けようがないのですよ。もし達郎さんや謙三さんに落ち度がなかったとしても、犯人にとっては生きていられては都合が悪い人物だったのかもしれませんし・・・」
竹本刑事はううむ、と唸って、ひどく考え込んでいる様子である。
と、そのとき竜一が突然、
「ところで雨川さん。こちらの刑事さんから聞いたのですが、父が殺された部屋は密室だったそうですね。」
「そうなんですよ。大体のことは分かりましたが、まだ分からないところが幾つかあるんです。」
竹本刑事は驚きの表情を浮かべ、顔を上げて雨川の顔を見た。まさか小瓶を眺めていただけで密室の謎を八割がた解いてしまったというのか。
「どうも解らないんですよねえ。引っかかるなあ・・・」
雨川はそう小声で呟いていたが、突然、顔を上げた。
「もしかして、お父さんは眼鏡かコンタクトをつけていたんじゃないですか?」
竜一も悠子も驚いて顔を見合わせていたが、
「ええ、そうなんです。かなり度の強い眼鏡をかけていました。父はとても近眼だったんです。でも、眼鏡をかけているところを見られるのが嫌だったらしくて、普段は外していました。ああ見えても、父は結構外見を気にする性質なんです。」
「なるほど。」
雨川は強くうなずいて、
「よく分かりました。ところで竹本刑事、聞き込み調査は終わりましたか?」
「ええ、昨日のうちに、達郎さんが殺された時刻のアリバイを調べておきました。だいたいこんな感じでしたよ」
と言って、竹本刑事はメモ帳を取り出して、雨川に見せた。それによると、それぞれの行動はこうである。

まず邦枝は、居間のほうで一人で、紅茶を飲みながら週刊誌を読んでいた。そのうち五時になったので、夕食の支度に取り掛かるため台所へ移動し、それからずっと台所にいた。
良治は、部屋で釣竿の手入れをしていた。釣りは彼の趣味だそうで、明日(今となっては今日)知り合いと釣りをしに行く予定だったという。
里美もまた、部屋にいて友人に電話をしていた。その後、三時半に電話を切り、それから五時ごろまでずっと本を読んでいた。
ウメは夕食のときまで寝ていて、神城悦子は夕食のときまで自分の部屋で、新聞を読んだり知人に手紙を書いたりしていたという。
梶井はそのとき雨川と一緒にいたし、竜一と悠子は大学の方にいたのでアリバイがある。
「そうすると、アリバイのあったのは私と梶井君と、それから竜一さんと悠子さんの四人ということになるんですね。」
「そうです。そしてそのほかは全員、一人でいたのでアリバイがないんです。」
雨川はなるほど、といった風な顔をして、
「では私はこれで失礼します。」
そういってドアのところでお辞儀をすると、部屋を出て行った。

彼はまず事件のあった部屋へ戻り、台座を持ち出して、天井を調べてみた。そして探していたものが見つかったとき、思わずにやりとした。―――おやおや、やっこさん、こんなところにちゃあんと証拠を残していやあがる。―――
それから邦枝のいる台所へ行き、
「邦枝さん、部屋の鍵と合鍵というのは、いったいどこに保管してあったんです?」
「ええ、鍵は台所にいつも掛けてあるんですけど、合鍵は私の部屋の机の引き出しの中に、まとめてしまってあるんです。勿論、机に鍵がかかっているので、持ち出すことはできません。机の鍵は、私がいつも肌身離さず持ち歩いています。」
そう言って、身に着けているエプロンのポケットから、机の鍵を取り出して見せた。
「なるほど。よく分かりました。ありがとうございます。」
雨川は礼を述べると、今度は玄関を出て、近くの田圃を見て回った。しばらく行くと、稲に何かが絡まっている。
絡まっていたのは、かなり長さのある緑色のテグスだった。

雨川は尾山家へ戻り、居間にいた竹本刑事にこう伝えた。
「事件の真相が分かりました。皆さんをここへ集めてください。」


第三章・完